滝尾(たきのお)古道~外山(とやま)
12月19日(土)
日光の滝尾(たきのお)古道と外山(とやま)を歩いてきました。
2010年9月26日にも訪れているので2度目です。
最近の日光はヒルが多く、冬になるのを待って出かけました。
2~3日前に降った雪が残っていて風が冷たく、寒い一日でした。
東武日光駅スタート 8:27
観音堂 別名「香車道、将棋っ駒」 9:39
将棋の駒の香車が戻らずに直進する駒なので、妊婦がこの駒を借りて帰り、自宅の神棚に祀ると無事出産できるという安産信仰の社である。出産後は借りた駒と共に新調した駒を一緒に返納するので、駒の数は増えるばかりである。
------立札の説明文より-------
以下の説明文も立札より抜粋しています。
開山堂 観音堂の隣にあります。
堂内には、約4.5メートルの地蔵菩薩及び日光開祖、勝道上人とその十大弟子の木象が安置されている。上人は弘仁8年(817)に83歳で亡くなり、この地に葬られた。毎年4月1日に開山会(かいざんえ)が執行される。
仏岩
開山堂裏のくぼみに六部天(うち一体は不動明王)の石仏がならべられている。
「これより滝尾道」の道標
石畳の道は解けた雪が凍って滑りやすい。
石仏の後ろの石段を登って行くと学問の神さま、菅原道真(天神さま)を祀る北野神社がある。
手掛石
北野神社に詣でた後、この石を欠いて持ち帰り、神棚に供えると字が上達するという信仰があった。手を掛けて祈っても良い。
神馬の碑
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの折り、徳川家康が乗った名馬の碑。家康が亡くなった後も、元和3年(1617年)から寛永7年(1630年)に亙る14年の間、東照宮に御神馬として奉仕した。
人間のお墓みたいです。
昌源杉
滝尾参道の周辺には500年以上の老杉群がある。文明8年(1476年)、日光山第44世別当になった昌源が、山中に松と杉を植えたもので「昌源杉」と呼ばれる。
大小べんきんぜいの碑
風化して読めないので立札を見てください。
滝尾神社の神域に入るため、大小便などの不浄を禁じた碑。庶民にも読めるように「かなまじり」で書かれている。
漢字で書くと「大小便禁制」となるが、”大小べんき”で区切ってしまって?、”大小べん”で区切って納得した。(笑)
白糸の滝
石畳が終わり、ここから石段を登って行きます。
影向石(ようごうせき) 左の石かな?
影向とは、神が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820年)この地に来て奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。
運試しの鳥居
赤い矢印の先の穴に小石を三つ投げてうまく通ると、願いごとが叶うと伝えられている。
元野球少年は何度も挑戦します。惜しい!
お見事!通った!
奥に見えるのが滝尾神社。
滝尾神社
女峰山の女神、田心姫命を祀る。
弘仁11年(820年)弘法大師の創建。
楼門
仁王様がいらしゃらない珍しい楼門、明治4年の神仏分離までは安置されていたという。
拝殿
何を祈ったか?やっぱりコロナの終息ですね。
本殿
無念橋(俗称 願い橋)
自分の歳の歩数で渡ると女峰山頂上奥宮まで健脚で登ったことになり願いが叶えられると言われるようになり、「願い橋」と呼ばれる。歳の歩数?自分の歳考えたら運試しの鳥居よりよっぽど難しい。一跨ぎできそうなかわいい橋です。
御神木(三本杉)
弘法大師がこの山で修業をした時に、田心姫命が現れた場所と伝えられる。初代の杉は倒れてそのまま横たわっており、現在の杉は2代目である。
滝尾稲荷神社
弘仁11年(820年)弘法大師が滝尾神社とともに稲荷神社を創建。昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては催促したという伝説が残っている。
奥に子種石がある。
子種石
古くより、この石に子供が授かるように祈願すると、霊験高く、子宝に恵まれ、無事安産するとの信仰がある。
酒の泉
弘法大師がこの湧水を汲んで神に捧げたという。醸造家達で酒泉講が結成され、祈醸祭、報醸祭が行われる。落ち葉だらけでした。
復路は二荒山神社を通って外山へ向かう。
行者堂
奈良時代の山岳呪術者、修験道の祖、役小角(えんのおずぬ)が祀られている。
役小角
空烟地蔵
行者堂から巨杉の坂道を下ったところ、地蔵が現れて、男体山登頂を試みる勝道上人を励ましたという。延宝年間(1675年ごろ)三代将軍家光の忠臣、阿部豊後守忠秋の墓を大猷院の一角に作った時、阿部家の人が話を聞いて、忠秋の法名をとり、空烟地蔵を建立した。
二荒山神社 11:53
二荒山神社を出て、東照宮、輪王寺を見ながら外山(とやま)に向かう。外山は輪王寺の飛び地境内です。
外山登山口 13:05 頂上に行くまでに5つの鳥居をくぐります。
登山口手前の陽だまりでランチタイム。
頂上直下の急登は雪があり、手すりにつかまりながら登った。写真を撮る余裕なし。
外山毘沙門天堂 頂上は真上。
お堂の中には毘沙門天が祀られているのでしょうか?鍵がかかっていて堂内は見ることができない。
外山毘沙門天堂から筑波山
外山頂上 880m 13:45
頂上からの眺め
往路を下って東武日光駅まで戻る。
外山を振り返る。
東武日光駅ゴール 15:14
今日の軌跡
今日の歩数:25116歩
行動時間:6時間47分 距離:11.3キロ 上り:542m 下り:543m

日光の滝尾(たきのお)古道と外山(とやま)を歩いてきました。
2010年9月26日にも訪れているので2度目です。
最近の日光はヒルが多く、冬になるのを待って出かけました。
2~3日前に降った雪が残っていて風が冷たく、寒い一日でした。

東武日光駅スタート 8:27
観音堂 別名「香車道、将棋っ駒」 9:39
将棋の駒の香車が戻らずに直進する駒なので、妊婦がこの駒を借りて帰り、自宅の神棚に祀ると無事出産できるという安産信仰の社である。出産後は借りた駒と共に新調した駒を一緒に返納するので、駒の数は増えるばかりである。
------立札の説明文より-------
以下の説明文も立札より抜粋しています。
開山堂 観音堂の隣にあります。
堂内には、約4.5メートルの地蔵菩薩及び日光開祖、勝道上人とその十大弟子の木象が安置されている。上人は弘仁8年(817)に83歳で亡くなり、この地に葬られた。毎年4月1日に開山会(かいざんえ)が執行される。
仏岩
開山堂裏のくぼみに六部天(うち一体は不動明王)の石仏がならべられている。
「これより滝尾道」の道標
石畳の道は解けた雪が凍って滑りやすい。
石仏の後ろの石段を登って行くと学問の神さま、菅原道真(天神さま)を祀る北野神社がある。
手掛石
北野神社に詣でた後、この石を欠いて持ち帰り、神棚に供えると字が上達するという信仰があった。手を掛けて祈っても良い。
神馬の碑
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの折り、徳川家康が乗った名馬の碑。家康が亡くなった後も、元和3年(1617年)から寛永7年(1630年)に亙る14年の間、東照宮に御神馬として奉仕した。
人間のお墓みたいです。
昌源杉
滝尾参道の周辺には500年以上の老杉群がある。文明8年(1476年)、日光山第44世別当になった昌源が、山中に松と杉を植えたもので「昌源杉」と呼ばれる。
大小べんきんぜいの碑
風化して読めないので立札を見てください。

滝尾神社の神域に入るため、大小便などの不浄を禁じた碑。庶民にも読めるように「かなまじり」で書かれている。
漢字で書くと「大小便禁制」となるが、”大小べんき”で区切ってしまって?、”大小べん”で区切って納得した。(笑)
白糸の滝
石畳が終わり、ここから石段を登って行きます。
影向石(ようごうせき) 左の石かな?
影向とは、神が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820年)この地に来て奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。
運試しの鳥居
赤い矢印の先の穴に小石を三つ投げてうまく通ると、願いごとが叶うと伝えられている。
元野球少年は何度も挑戦します。惜しい!

お見事!通った!

奥に見えるのが滝尾神社。

滝尾神社
女峰山の女神、田心姫命を祀る。
弘仁11年(820年)弘法大師の創建。
楼門
仁王様がいらしゃらない珍しい楼門、明治4年の神仏分離までは安置されていたという。
拝殿
何を祈ったか?やっぱりコロナの終息ですね。

本殿
無念橋(俗称 願い橋)
自分の歳の歩数で渡ると女峰山頂上奥宮まで健脚で登ったことになり願いが叶えられると言われるようになり、「願い橋」と呼ばれる。歳の歩数?自分の歳考えたら運試しの鳥居よりよっぽど難しい。一跨ぎできそうなかわいい橋です。
御神木(三本杉)
弘法大師がこの山で修業をした時に、田心姫命が現れた場所と伝えられる。初代の杉は倒れてそのまま横たわっており、現在の杉は2代目である。
滝尾稲荷神社
弘仁11年(820年)弘法大師が滝尾神社とともに稲荷神社を創建。昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては催促したという伝説が残っている。
奥に子種石がある。
子種石
古くより、この石に子供が授かるように祈願すると、霊験高く、子宝に恵まれ、無事安産するとの信仰がある。
酒の泉
弘法大師がこの湧水を汲んで神に捧げたという。醸造家達で酒泉講が結成され、祈醸祭、報醸祭が行われる。落ち葉だらけでした。
復路は二荒山神社を通って外山へ向かう。
行者堂
奈良時代の山岳呪術者、修験道の祖、役小角(えんのおずぬ)が祀られている。
役小角
空烟地蔵
行者堂から巨杉の坂道を下ったところ、地蔵が現れて、男体山登頂を試みる勝道上人を励ましたという。延宝年間(1675年ごろ)三代将軍家光の忠臣、阿部豊後守忠秋の墓を大猷院の一角に作った時、阿部家の人が話を聞いて、忠秋の法名をとり、空烟地蔵を建立した。
二荒山神社 11:53
二荒山神社を出て、東照宮、輪王寺を見ながら外山(とやま)に向かう。外山は輪王寺の飛び地境内です。
外山登山口 13:05 頂上に行くまでに5つの鳥居をくぐります。
登山口手前の陽だまりでランチタイム。

頂上直下の急登は雪があり、手すりにつかまりながら登った。写真を撮る余裕なし。
外山毘沙門天堂 頂上は真上。
お堂の中には毘沙門天が祀られているのでしょうか?鍵がかかっていて堂内は見ることができない。
外山毘沙門天堂から筑波山
外山頂上 880m 13:45
頂上からの眺め
往路を下って東武日光駅まで戻る。
外山を振り返る。
東武日光駅ゴール 15:14
今日の軌跡


行動時間:6時間47分 距離:11.3キロ 上り:542m 下り:543m
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