岩船山高勝寺を訪ねて
6月17日(金)
栃木市の岩船山173mに行ってきました。岩船山には日本三大地蔵の一つに名を連ねる高勝寺があり、関東周辺の死者の霊魂が集まる地として信仰されています。かつてこの山では岩舟石が切り出されていました。2020年1月25日に続き2度目の訪問です。
東武静和(しずわ)駅・・・(ふれあいバス)・・・JR岩舟駅
1日乗車券400円購入。
JR岩舟駅 無人ですが掃除が行き届いてきれいな駅です。
岩船山表参道
駅名が岩舟、山名が岩船でややこしい。
石垣のところで見かけたサボテン
600段の石段の始まり
苔むした石段は人が歩いた形跡がない。
バスで知り合ったおばーちゃんによると、春秋の彼岸には臨時列車が出る程賑わったそうですが、今はどうなのでしょう?
この日は誰にも会いませんでした。
坂中地蔵 船の上にお地蔵さま、岩船山は船の形をしています。
頂上にある高勝寺は宝亀8年(775年)に弘誓坊明源によって開基。弘誓坊明源は大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て岩船山に訪れ、生身地蔵と謁見することが出来たため開基した伝えられている。・・・説明板より抜粋・・・
草むらの石仏
ホタルブクロ
石段を登り切って展望台広場を過ぎると、緑の中に朱塗りの三重塔が見えてきます。
高勝寺三重塔
寛延4年(1751年)建立、高さ約19m 県文化財指定
下がっている枝は桜、花の時期に来たらいいだろうなと思いながら今になってしまいました。
三重塔の右手から孫太郎本殿への石段を登って行くと、洋服を着た石仏が並んでいます。いずれも汚れていて気の毒です。
一番きれいな服を着ている石仏です。
林立する塔婆
孫太郎尊本殿
孫太郎さんは武将らしいのですが、資料が焼失してしまいお寺の方も詳しいことは分からないそうです。(前回訪れた時聞いた話)
石段を下って孫太郎尊拝殿に向かいます。
百観音
孫太郎尊拝殿.
孫太郎尊拝殿内部
「般若心経」と書かれたお札があり、天狗の面、烏天狗が見えます。換気扇がブンブン回っていました。
扁額
「孫太郎」という文字の下は削れて読めませんが、奉納した人の名前は「星野留吉」と読めます。いつの時代のものなのか興味は尽きません。
奥の院
左の岩と対岸の岩はつながっていたが、3.11東日本大震災で崩落、対岸にあった奥の院はこちら側に移された。
前回訪れた時、鉄の「地蔵橋」が落ちているのが見えたが、今は撤去されていた。下を見ると怖い!
高勝寺本堂
百観音霊場
血の池
鐘楼 18世紀頃に建立 県文化財
梵鐘は第二次世界大戦に供出されたが、平成15年に再興された。
・・・パンフレットより・・・
享保9年(1724)に造られた大仏
仁王門 享保2年(1742)4月建立 県文化財指定
縁の下に改修前の瓦
阿形
吽形
仁王門前のロウバイの実
仁王門の正面にある賽の河原
西院の河原堂(俗に賽の河原のこと)
舗装道路の裏参道を下山します。
赤い矢印が奥の院
石の資料館
岩舟石でできた建物で、岩舟石に関する資料が多く展示されていました。岩舟石の採掘は昭和30年ころが最盛期で、岩船山のまわりには36軒の石材店がありましたが、最後の方が亡くなって今は一軒もありません。・・・職員の方の話・・・
3.11東日本大震災前の写真が展示されていました。
2000年の岩船山 山が繋がっている。
上の写真と同じ場所で撮った現在の岩船山 V字に切れている。
次回は「栃木はなセンター」につづく・・・

栃木市の岩船山173mに行ってきました。岩船山には日本三大地蔵の一つに名を連ねる高勝寺があり、関東周辺の死者の霊魂が集まる地として信仰されています。かつてこの山では岩舟石が切り出されていました。2020年1月25日に続き2度目の訪問です。
東武静和(しずわ)駅・・・(ふれあいバス)・・・JR岩舟駅
1日乗車券400円購入。
JR岩舟駅 無人ですが掃除が行き届いてきれいな駅です。
岩船山表参道
駅名が岩舟、山名が岩船でややこしい。
石垣のところで見かけたサボテン
600段の石段の始まり
苔むした石段は人が歩いた形跡がない。
バスで知り合ったおばーちゃんによると、春秋の彼岸には臨時列車が出る程賑わったそうですが、今はどうなのでしょう?
この日は誰にも会いませんでした。
坂中地蔵 船の上にお地蔵さま、岩船山は船の形をしています。
頂上にある高勝寺は宝亀8年(775年)に弘誓坊明源によって開基。弘誓坊明源は大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て岩船山に訪れ、生身地蔵と謁見することが出来たため開基した伝えられている。・・・説明板より抜粋・・・
草むらの石仏
ホタルブクロ
石段を登り切って展望台広場を過ぎると、緑の中に朱塗りの三重塔が見えてきます。
高勝寺三重塔
寛延4年(1751年)建立、高さ約19m 県文化財指定
下がっている枝は桜、花の時期に来たらいいだろうなと思いながら今になってしまいました。
三重塔の右手から孫太郎本殿への石段を登って行くと、洋服を着た石仏が並んでいます。いずれも汚れていて気の毒です。
一番きれいな服を着ている石仏です。
林立する塔婆
孫太郎尊本殿
孫太郎さんは武将らしいのですが、資料が焼失してしまいお寺の方も詳しいことは分からないそうです。(前回訪れた時聞いた話)
石段を下って孫太郎尊拝殿に向かいます。
百観音
孫太郎尊拝殿.
孫太郎尊拝殿内部
「般若心経」と書かれたお札があり、天狗の面、烏天狗が見えます。換気扇がブンブン回っていました。
扁額
「孫太郎」という文字の下は削れて読めませんが、奉納した人の名前は「星野留吉」と読めます。いつの時代のものなのか興味は尽きません。
奥の院
左の岩と対岸の岩はつながっていたが、3.11東日本大震災で崩落、対岸にあった奥の院はこちら側に移された。
前回訪れた時、鉄の「地蔵橋」が落ちているのが見えたが、今は撤去されていた。下を見ると怖い!

高勝寺本堂
百観音霊場
血の池
鐘楼 18世紀頃に建立 県文化財
梵鐘は第二次世界大戦に供出されたが、平成15年に再興された。
・・・パンフレットより・・・
享保9年(1724)に造られた大仏
仁王門 享保2年(1742)4月建立 県文化財指定
縁の下に改修前の瓦
阿形
吽形
仁王門前のロウバイの実
仁王門の正面にある賽の河原
西院の河原堂(俗に賽の河原のこと)
舗装道路の裏参道を下山します。
赤い矢印が奥の院
石の資料館
岩舟石でできた建物で、岩舟石に関する資料が多く展示されていました。岩舟石の採掘は昭和30年ころが最盛期で、岩船山のまわりには36軒の石材店がありましたが、最後の方が亡くなって今は一軒もありません。・・・職員の方の話・・・
3.11東日本大震災前の写真が展示されていました。
2000年の岩船山 山が繋がっている。
上の写真と同じ場所で撮った現在の岩船山 V字に切れている。
次回は「栃木はなセンター」につづく・・・
この記事へのコメント
日本三大地蔵とはいえ、全く知りませんでした。
よくご存じですね。
その神聖で奥深い信仰の地を維持するのは大変だと思います。
修行の場でもあったのでしょうね。
だからこそ厳しい地形。それが地震で崩れたりして波乱万丈の歴史がこれまでもあったと思います。奥の院、凄いですね。
岩船山を訪れるきっかけはV字に切れた異様な山容を見たことでした。
かつて春と秋の彼岸には臨時列車が出る程賑わい、出店もたくさん出ていたそうですが、今は信仰の地を維持するも大変なことと察せられます。
初めてお地蔵さんや塔婆を見た時、恐山を思い出しました。
岩舟石の削り過ぎが崩落を招いてしまったことは、採石で標高が低くなってしまった武甲山にも共通するものがあり複雑な気持ちです。
季節を変えてまた訪れたいです。